2011-03-29

コリナーはいい先生。

週末は雨が降ったけど、ここのところずっと気温が高く 天気がいいミュンヘン。

今日もダイチはイヤだイヤだと泣きながら幼稚園に行ったようだ。
朝は機嫌がわるい。
お昼 迎えに行くと、園庭で砂遊びをしていた。
鼻水の跡があって、目も腫れてたから泣いたんだろう。
帰ろうとすると、先生や他のお母さん、それに遠くで遊んでる友達にバイバイと言って回っていた。

担任のコリナーは私の姿を見つけると いつもすぐに来て今日の出来事を話してくれる。
コリナーは本当にいい先生だなぁと思っている。
今日も笑顔で話してくれた。

朝幼稚園に着いたダイチは寂しさを紛らわすためおやつを食べるのだけど、
ヨーグルトを急いで食べた後に 今日は吐いたそうで服を着替えていた。
そのあとは元気に遊んで、12時くらいに疲れて泣いたよう。
ピーピー(日本で言うシーシー)が言えてトイレにいっぱい行った。

その他にも今日の出来事を楽しそうに話してくれた。
ダイチはまだ他の友達と遊べないので、いつもコリナーの傍にいて
コリナーも大変だと思うけど 楽しそうに話してくれるとちょっと安心する。
子ども思いの 素朴で優しい先生だと思った。


でも、園庭で遊ぶときは サングラスのコリナー。
日本ではあんまり考えられないけど、日差しが強くて眩しいから
幼稚園でのサングラスでも違和感がなくなった。

何だか今日は私も疲れてダイチと一緒に昼寝をしていたら
オットが帰ってきた、まだ17時前。
同僚から自転車を借りて、自転車で通勤できるか試すという。
最近ずっと暖かいし、ミュンヘンはあんまり勾配がないから
自転車通勤を考え始めたオット。あのお腹にも効きそうで賛成した。
自転車の後ろに取り付ける ベビーカーもあるので、今度見てみよう。

一昨日からサマータイムになって ずっと時間の感覚がずれていたけど
だんだんついていけるようになった。

2011-03-28

久々の日記

先週から、いろいろあってずっと置きざりにしていたけれど、また日記を再開です。
そして写真で思い出しながら、時間をつくって以前のことも記していきたいです。

だいたいこの頃は、オットが朝 幼稚園にダイチを送っていって
私が迎えに行っている。普通は13時、用事のないときは12時に迎えに行く。
今日も13時に迎えに行くと、ダイチはコリナーに抱っこされて ちっちゃくなっていた。
他の友達も今日は少なくて、外にいるのが5~6人くらい。
いつもはお昼から外に出て遊んで迎えを待つので、20人くらいはいるけど
今日は少なくて、より一層ダイチが小さく見えた。
私が声をかけると、また泣いた。
コリナーは「12時までは良かったのよ。ダイチは疲れすぎたわ」と教えてくれた。
まだまだ慣れなくて、長いから疲れるのかな~。

ダイチの好きなクロワッサンを買ってきていたのでそれを食べながら帰った。
途中でいつもスーパーに寄るのだけど、お肉屋さんでハムを貰って以来
ダイチはいつも 『はむ、もらいたいなぁ~、ほしいなぁ~』 と言うようになった。
大体ハムかソーセージを買うのだけど、今日は買わずにいたら ダイチは
レジに並んでもまだ 『はむ!はむー!いこー!』 とお肉コーナーに連れて行こうとした。
ダイチよ ご飯は食べないのになぜもらいたがる・・・
お昼ご飯は食べたけどパンは食べれるよ~

今日は、というか幼稚園に行くようになってから 殆んど昼寝をしなくなった。
夕方になるとあれもヤダーこれもヤダーと機嫌が悪くなる。
今日も兆候があったので 急いでシャワーをして、夕食を作って 食べさせようとしたら
もう3口食べた所で力尽きて、18時半には寝てしまった。
早かった・・・。明日の朝も、起きるのが早いかなぁ~、ちょっと心配。

東北日本関東大震災 原発問題からこれからのエネルギー源へ

原発事故には衝撃を受けた.私はもともと原発は必要悪だと思っていた.これだけ電力を利用する日本社会は原発抜きには考えられないと,そのように考えていた.そして,核の平和利用は,安全対策を施せば問題ないと思っていた.そして,地震列島日本に原発を沿岸につくるのだから,地震の揺れはもとより,津波への対策も万全だと思っていた.おそらくほとんどの日本人がそのように考えていたと思う.

今回は,地震そのものは原発は耐えた.地震を検知してからきちんと制御棒が挿入され,原発は停止活動に入った.

その後が問題だ.東電曰く「想定外」の津波が非常用電源などを浸水させ使い物にならなくした.

私が問題視するのは,この「想定外」だ.

福島第一原発は高さ約5mちょいの場所に立地している.私は原発がそんなに低い場所にあるとは知らなかった.勉強不足であった.過去の津波の記録を紐解いてみれば,5mは低すぎであることは明白だ.

東北沿岸は,過去の三陸沖地震でもたびたび津波に襲われた.869年に起きた貞観地震のときの津波は,陸地に残った津波堆積物の記録などから,今回の津波に匹敵するものと考えられている(貞観地震の方が少し小さいかもしれないが).このことは,専門家がすでに東電にも警鐘を鳴らしていた.よって,東電および政府は,「想定外」という言葉を使うべきではない.専門家の警鐘を無視した結果が今回の惨事を招いたと考えるべきだ.たらればであるが,数年前の警鐘から,速やかに原子力発電所の停止や少なくとも非常用電源設備の防水加工,さらなる高地への移転など,最低限の行動を行っていれば,今回の原発事故は防げたのではないかと思う.

では,原発をこれからどうするか.私はいまでも原発を最終手段として持つことに賛成だ.しかし,節電努力と最大限の代替エネルギーの模索をしたのち,それでも電力がたりないとなった場合の最終選択肢として原発を考えるべきだ.

短期的に見れば原発は低コストで電気を生産できる.火力発電所のように大量の二酸化炭素を出すこともない.これで安全だったら言うこと無しだ.しかし,実際には長期的に地球環境や人間を含めた全生物に悪影響を及ぼしかねない放射能を利用するという最大の問題がある.
今回の事故を除いて考えても原発には大きな問題点がある.使い終わった核燃料を廃棄する場所がないことだ.今回事故のあった原発でも使用済み核燃料は,原発内に保管していた.
現在,政府や電力会社は,これら使用済み核燃料を,地下深くに埋めることを考えているし,実際に試験をしている.俗に「地層処分」と言われている方法だ.私はこれに大きく反対する.

日本は,ご承知のとおり,複数のプレートが衝突し合う,世界でもきわめて不安定な場に成立している.衝突のひずみを解消するのが断層運動であり,結果として地震が起きる.第四紀に動いた経歴を持つ断層を活断層と呼んで,世間が注目しているが,新しく断層ができることもあるのだ.つまり,日本中,どこでも断層ができる可能性を持っている.仮に,地層処分した場所に断層が生じたらどうなるか.間違いなくその核廃棄物は,地中に漏れ出す.それがゆくゆくは地下水や土壌に浸透し,地域を,そして世界を汚染していく.そういう可能性がある.
“核燃料サイクル”といういかにも核燃料をリサイクルできるような計画らしきものが存在するが,これは実はサイクルしていない.結局は廃棄物をどこかで管理するしかない.その廃棄物は年々増えていく.核のゴミをどうするのか.埋めるのは,上記の理由からもってのほか.しかもその廃棄物には核爆弾にも利用されるし,発がん性の高いプルトニウムも含まれている.これをどのように未来永劫安全に管理するか.原発を利用するならこの答えを出さなくてはならない.
現在の私の知識では,その答えは,「原発以外のエネルギー源を見つけ,核廃棄物を出さない」である.

とはいえ,これはあくまでも私の浅はかな知識をもとに,福島第一原発での事故に触発された,多少気持ちの高ぶっている気持ちの中での結論だ.
実際に,これまでの電気に依存しまくった生活を脱却できるか,原発に依るであろう比較的安価な電気代が数倍に跳ね上がっても,本当に我々は生活していけるのか.そのような不安はある.
今回の原発事故を機に,これから数年間,日本のエネルギー政策は大きな転換点を迎える.

どのようなエネルギーに依存するか,考える必要があるが,同時に,我々はどこまで節電し,我々の求める生活がどの程度の電力を必要としているのか見定める必要がある.

我々の求める(我慢できる)生活に必要な電力量と各エネルギー源の持つリスクやデメリットとどのようにバランスを取っていくか.それを真剣に考える必要がある.

関東・東北に在住している方は,現在の計画停電や各種節電対策によって,どれだけ我々が電気に依存した生活を送っているか,わかったはずだ.私は,現在ミュンヘンに在住しているが,震災当時はたまたま日本に帰国しており,帰宅&帰国難民になってしまった.その間に,節電,停電を短期間であるが味わった.駅のエレベーターやエスカレータが軒並み動いておらず,外国帰りの重たい荷物を幾日も手で運んだ.正直な気持ちは,エスカレーターはなくても良いが,エレベーターは欲しい.とても重たい荷物やベビーカーなどがあるときは階段ではちときつい.このように,どこまで我々が節電や停電を容認できるかを,皆で議論しよう.

そして,これは地方自治体や国レベルで取り組む話であるが,都市計画や各種法規制で,電力をはじめとしたエネルギーを極力使わない社会を実現できるはずだ.例えば一時期東京都知事が言っていた夜間のコンビニ照明の低減や,ここ数日大きな問題となったナイター野球の禁止などだ.会社と個人宅間の距離を縮めるだけでも,輸送に関わるエネルギーを低減できる.そのような低エネルギー社会を実現する政策は最優先で取り組むべきだ.
ちなみに,オール電化住宅は一つのエネルギーにのみ依存するという点で,個人の危機管理上問題であると思っている.電力需要増加にもつながっており,オール電化推進の政策など,伝呂需要増大を進める政策は,それこそ早急に「仕分け」すべきだろう.

エネルギー源に関しては,日本が試す価値のある地熱発電など,まだまだ日本に最適なエネルギー源は模索し尽くしていない.風力には私は否定的だが,太陽は,日本でもっとも消費電力の高まる夏場

もう一つ国にお願いしたい点は,様々なエネルギー政策の利点と欠点,コストをさらけだして,どのエネルギー政策でいくか,国民投票を実施して欲しい.

とにかく私の気持ちは,『不幸な震災を,少しでもポジティブに転化させよう』である.

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なんだか,まとまらないブログ記事になってしまったが,以上が,今回の東日本関東大震災を機に私の心にわき上がってきた気持ちだ.専門でない部分がほとんどのため,内容に誤りがあるかもしれないが,今の気持ちを書き留めておきたい,と思い,公開する.間違いなどを見つけたらお知らせ願いたい.

東北日本関東大震災 自分の反省編

日本の事が気になってなかなかブログの投稿ができない.
東北日本関東大震災についての報道に目が釘付けだ.

今日のブログ記事は今回の震災で私自身の反省も踏まえて,いろいろと思ったことを綴ってみた.これを綴らないと,普段の生活ブログに戻れない.

私は地学を専門としていて,大学での授業でも東北日本に蓄積するひずみについても話をしていた.ではそのときにどれだけ津波の危険性について授業で説いただろうか.三陸沖で発生する地震では特に津波が危険であることは述べていたたが,具体的なデータを示しての講義は行っていなかった.次の記事に述べる,内陸3km以上に渡って津波が押し寄せたこともある869年に発生した貞観地震についても情報を知っていたのに,授業では触れていなかった.授業時間が足りないこともあったし,専門が地震や津波ではないこともあり,割愛していた.しかし,割愛して良い話ではなかった.日本という震災列島に住んでいる以上,震災とともに生きていかねばならない.火山,地震,津波などの震災のメカニズムについては授業で話した.しかし,それが発生したときの対策や発生する前の準備についての話をしていなかった.深く反省している.地学に関わる人は,例え自分の専門外でも,防災についての授業を最低でも1コマは割くべきだと,今回の震災を機に思いを改めた.

人間は誕生してからたかだか数百万年.ましてや史実として記録に残っているのはせいぜい数千年である.それに対して地球は46億年の歴史を持っている.今回,多くの日本人が今回の震災を“予想以上”の震災だと思ったことと思う.本当に“予想以上(想定外)”だったろうか.我々地質学者は地層から過去の地球に起きた出来事を読み解く.そのデータは今回の震災を予想以上とするだろうか.過去に起きた震災の中でも大きなものだとは思うが,決して最大ではないだろう.もっともっと地質学者が努力していれば,今回の震災によるダメージを軽減できたかもしれない.次の記事で述べる原発に関しては,一部の地質学者が数年前にならしていた警鐘を東電や政府が聞き入れていれば,今回ほどひどい惨事には陥らなかったろう.

そして,現在の日本では高校などでの地学教育がほとんどなくなっている.あったとしても,大学受験における暗記科目に成り下がっている.それではだめだ.震災列島日本に住む以上,日本の成り立ち,立地条件,震災のメカニズムと対策を十二分に知っておかなくてはならない.少なくとも日本での地学はおそらく他の学問より遙かに重要な学問だ.この震災は不幸であったが,しかし,この逆境を少しでもプラスに変えるべく,私は努力する.現在の日本の状況や被災した人々,救援を行っている人々,必死に原発処理にあたっている人々のことを考えると,いたたまれない気持ちになるが,いま私にできることは,私の専門を活かした貢献である.それは今すぐには効果が無いかもしれないが,10年後,20年後の日本を救うために,まずは私自身が行う授業の改革,日本の教育制度改革への活動をしていこうと決意した.

2011-03-25

春きたる.いや,夏きたる?

植物たちはいち早く春を堪能している
 

今年のミュンヘンは極寒であったが,どうやら,春が訪れたようだ.3月8日に日本に一時帰国したが,成田が雪で覆われていて驚いた.そして,3月19日にミュンヘンに戻ってきたが,そのときにはすでにミュンヘンは暖かな空気に包まれていた.何とも穏やかな春の陽気がすぐそこに来ている感じだ.

ところで,一足早く夏も到来してしまった.夏時間である.
同僚が別の同僚と夏時間について話しているのを聞いて,夏時間の開始日を聞いてみるとなんと今週日曜だという.知らなかった.たいした約束もないが,同僚の話を小耳に挟まなかったら,我が家族だけ人より一時間早く行動してしまうところだった.
どうやら夏時間は3月の最終週の日曜日の午前2時に変更となるらしい.午前2時が午前1時となるのかな?
しばし,プチ時差ぼけが生じそうだ....

金曜日は魚料理 Dorade Royal

 キリスト教では金曜日は魚を食べる日らしい.なぜかは知らない.
職場の職員食堂でも金曜には普段ない魚料理がお目見えする.ここバイエルンは肉の国だ.海からは遠く,スーパーでも魚コーナーは滅多になく,あっても燻製の魚が大半を占めている.

しかし,金曜日だけは違う.私の住むミュンヘン郊外の街にも魚の移動販売車がやってくる.
いつも気になっていたが,たまにはバイエルンで魚料理もいいだろうと,思いきって買ってみた.

購入したのはDorade Royalという地中海で獲れた魚.日本ではヘダイと呼ばれているらしい.塩焼きにしている記事を見かけたので,真似して塩焼きにしてみた.美味でした.たぶんすべての日本人が喜ぶ味だ.ジューシーだし,淡泊な中にもうまみ凝縮.うまーい.

黒いけど,鯛.塩焼きうまーい.

2011-03-20

近くの公園

家の近くに公園がない・・・と思っていた.近くに芝生の生えたスペースがあるが,そこは犬のうんちだらけ.ドイツ人は犬をこよなく愛しているらしいし,しつけも行き届いているらしいが,犬の糞には無関心らしい.
とにかく街のちょっとした街路樹の脇や芝生には犬の糞がそこかしこにある.

これでは子供をむやみに遊ばせることができない.せっかくの緑が台無しである.
と思っていたところ,近くに公園を見つけた(まあ,見つけたのは妻であるが).

買い物に行くときにとおる教会の脇に,こじんまりとした公園があったのだ.ここに住んで早3ヶ月近く経つが,3ヶ月経ってもまだまだ発見がある.



こぢんまりした公園.すべり台と砂場,ゆらゆら?がある.

なぜか誇らしげにすべるダイチ

壊れかけの木のお玉で砂場遊び-.


この日は誰もいなかったが,妻曰く, たまに子供達が遊んでいるらしい.早速,ダイチを遊ばせてみる.最初はすべり台,そして砂場へとダイチの興味はめまぐるしく動く.


2011-03-16

ダイチの幼稚園での変化

毎日毎日、遠い日本のことを考えて、少し情緒不安定です。
地震の情報を見るたびに、放心し、日本がどうなるんだろうという切なさで涙が出てきます。
被災地の方や 犠牲になった方のことを思うと、やりきれなさでいっぱいです。
自分には何もできないという無力感で、ただ情報を得るしかありません。
誰のせいでもないのに、誰かを悪者にしたいという情報はとても腹立たしいし、自分さえ良ければという行動は悲しくなります。自分も普通に生活しているのが申し訳なくなってきまています・・・。



それでも、ダイチは毎日何かを吸収して、昨日より確実に成長しています。
それだけでも記しておかなければと思い、日記は続けようと思います。
義務?と思ったほうが書きやすい。気が楽です。

昨日はダイチを8時前に幼稚園に連れて行ったけど、着くと泣き始めた。
コリナーは8時前にいたけど、本当は8時からの勤務らしくて、「必要だったら8時前に来るけど、8時過ぎでもいいかしら?」と今日、遠慮がちに言われた。
お別れは短く、と言われたので、頑張るんだよ!じゃあねと言い残して 幼稚園を出た。

迎えに行ったらダイチの服が変わっていて、聞くと、
私が行った後、バナナを食べて 泣き過ぎて吐いた、という。
靴と靴下まで着替えていた。
そんなになるまで泣いていたんだ。切なくなった。

でも、昨日は朝20分くらいで泣くのがおさまり、1時間寝て、あとは主に一人で遊んでいたそう。
きっとコリナーがつきっきりだったんだろう。
『コリナーも、トイレ行くって、行ったよ~』 とダイチが言うので、いちいち言わないといけない位 つきっきりだったんだろう。
13時に幼稚園に着いたら、ダイチ達は園庭で遊んでいた。
この幼稚園は、ごはんが終わった11時くらいから外で遊ばせると言っていた。

コリナーから、「ダイチはズーパーよ!」と言って携帯電話で撮ったビデオを見せてもらった。
そこには、ダイチが庭の小屋に入って『コリナーコリナー!』と呼ぶ様子や、砂が積めるおもちゃのトラックで遊んでいる様子が映っていた。
ダイチは、やっぱり一人だったけど、泣かずにちゃんと遊んでいた。
自分なりに、私が居なくてもやるんだ、と感じていたんだろう。

ダイチは私を見つけると、すぐに顔を崩して泣いたけど、必死でがんばっていたんだと思う。
すぐに泣き止んだけど、また『ママいいーママいいーって言って、えーんえんしたよ』とか『こりなーがねズーパーって・・・・』 と出来事を語ってくれた。
日本語でさえ言葉を覚えている途中で、ドイツ語はまだ全然意味が分からない状態なので、自分の言いたいことがやっと伝わる私は、待ちに待っていた存在だったんだろう、またまた饒舌だった。

昨日はこんな感じ。

今日は、私がお休みの日だったので、ゆっくり9時に幼稚園に行った。
家を出る前から『ママと一緒に買い物 だけ いくー!』 と、嫌がるダイチを連れて幼稚園に着くと、私が帰る行動をとらないかダイチは敏感になっていた。

ダイチは幼稚園は嫌がっていない。私が帰るのを嫌がっているだけ。
コリナーと一緒に、トラックで遊んでいます

11時半過ぎに迎えに行くと、ダイチはトラックを持ってちゃんと遊んでいた。
すごく嬉しかった。まぶしく見えた。
私の姿を見ると、顔を歪ませたけど 今日は泣かなかった!えらいぞー!
今日は、朝15分間泣いて、そのあと1時間寝て、遊んでいたそう。
でも、昨日も今日も、ごはんはろくに食べていなかった。
今日は好きなミニおにぎりを作ったんだけど、全然手をつけてなかった。
ブドウがなんつぶか減っていただけだった。
朝8時にご飯を食べて、幼稚園では10時30分のごはんなのでお腹が減っていないだけかも。
そして泣きながらの状態では、無理もないか・・・。

朝幼稚園で泣いたあと寝るため、家に帰ってからは昼寝をしなくなっている。
元気いっぱいなので、午後も公園に行って遊ぶようになった。
その分、夜は8時前には寝る。
夕方からグズグズで 結構大変だけど、ダイチもがんばっている。 
私も、頑張らなきゃだ。

一昨日、アパートの大家のおばあさんが、大丈夫?と黄色いチューリップの花束を持ってきてくれた。


昨日は、オットの仕事の仲間、Kサン家族が元気出して!何か必要があったらいつでも電話してね!と 来てくれた。


(うしれかったよ~)
ダイチに、おもちゃも持ってきてくれた

日本より

オットです.日本の大地震の少し前に日本に一時帰国し,いまも日本にいます.
日本はこれまでに体験したことのない未曾有の危機に瀕しています.

私は地震があったとき,千葉県柏市の建物内にいましたが,人生史上最大の地震でした.震源域に近い宮城や福島では震度7.いったいどれほどの揺れなのか,想像だにできません.
そして津波.テレビでも何度も放映していますが,とてつもない破壊力です.いままで,例えばスマトラ島で2000年くらいに起きた津波の映像も見ていましたが,いまいち,津波の破壊力がピント来ていませんでした.

でも,今回の日本のテレビ局などがいくつもの角度,場所から撮った映像はこれまでの津波映像と比較にならない恐怖感を私に植え付けました.津波とはあんなにも破壊力のあるものだったのですね.

被災地の方々はどのように過ごしているのでしょうか.東北地方では今日雪が降りました.
寒いなかでの避難生活,さぞかしつらいことでしょう.今,私は一時的に日本にいます.仕事できたのですが,その仕事も地震の影響でなくなりました.今,被災地の方々に何ができるのか.いろいろと考えていますが,ほとんど何もありません.

被災地で不足とならないように,節電をする,ガソリンや食料の買いだめをしない.これくらいしかありません.何とも無力なものです.
首都圏ではガソリンの確保のために車の渋滞が起きています.渋滞のためにバスなども巻き込まれ,駅への所要時間が通常の倍以上かかっています.いま,ガソリンスタンドに並んでいる人たちは本当にガソリンが必要なのでしょうか?そのガソリンを被災地に送るべきではないですか?渋滞を招いて街を混乱させるのをやめるべきではないですか?
いま,本当にガソリンが必要な人のみがガソリンを求めるべきです.

妻の実家が福島にあります.義理の両親と弟が一緒にいます.本当に無事で良かった.義理の弟は仙台にいたのですが,地震後に両親と合流してくれました.本当に心強い.弟君,適切な行動でした.ありがとう.
しかし,これからが大変です.実家は家にひびがはいったようで,余震が怖くて家の中に入れない状態が続いているようです.食料も少なくなってきているようです.
本当に私ができることが何もないのか.いつも心で悩んでいます.

一方で,ドイツに残してきた妻を思うとすまない気持ちがあふれてきます.まだミュンヘンでの生活を初めて3ヶ月.友達もろくにいない中,両親が被災し,そして,夫である私が日本に行って心細いだろうに.仕事がなくなったので早くミュンヘンに帰ろうとも思って飛行機のチケットの変更を航空会社に申し入れました.
しかし,空いているのは結局私が予約している日よりも遅い日.キャンセルが出て早めに帰れることを祈るしかありません.

妻に大いに感謝することもあります.毎日このブログを更新してくれていることです.ダイチの毎日の様子を詳しく書いてくれている.けなげに生活している2人を思うと涙がでてきます.本当に感謝です.そして,心配かけてすまない.私が日本にいてできることがない以上,一刻も早くミュンヘンへの帰路につけるよう,毎日飛行機会社に問い合わせを続けるから,もう少し待っていてね.

2011-03-14

幼稚園 初めての一人

今日から、ダイチは一人で 幼稚園で過ごすことになった。
今まで私が付き添っていたけど、今日から付き添いなし。
どうなるか本当に不安だったけど、その不安はすぐに現実のものになった。

幼稚園に行くまで一昨日あたりから、私が居なくなるということを話していたのだけど、
幼稚園に着くと やっぱりいつもと違う雰囲気を察知して
すぐに 『ママいかない~、一緒にいく~!』 と泣きついた。
何回かの居なくなり作戦で、私が消えることに相当敏感になっていたので
家でも最近はべったり、だった。

今まで離れたことがなかったから、当然。

持ってきたバナナやヨーグルトを広げると、気が紛れるようだけど
私が行こうとすると物凄く泣いた。
やっぱりずっと居よう!と思ったけど、心を鬼にして、幼稚園を出た。

ずっとダイチの様子が気になって気になって仕方がなかった。

用事が終わったらとんで帰るはずだったのだけど、
今日は朝からS-Bahnが大幅に遅れていて、2時間もかかって(本当は30分くらい)着いたので、帰りも危惧していたけどまた帰りも電車が遅れに遅れていた。
遅れてきた電車に乗れたはいいけど、その電車が線路の途中で止まる。
降りようにも降りられない。
他の乗客もため息をついたり呆れたりイライラしたりしてたけど、
私はもっともっとイライラしていた。
S-Bahnは諦めて、止まった初めての駅で降り、
バスを乗り継いで幼稚園に迎えに行った。
あとからオットから「そんな時は迷わずタクシーに乗ってほしい!」と言われた。
バスに乗っているときに幼稚園から電話が。
電話の向こうでダイチの泣き叫ぶ声がする。
5時間も泣いていたの?? とてつもない罪悪感に駆られた。
一旦電話を切り、日本にいるオットに幼稚園に電話をかけてもらった。
私が話せないために、国際電話で話してもらった。がくり。
ダイチを思う切なさと、話せないもどかしさがいっぱいだった。
(がんばったけど、つかれたよ~)帰宅時。

幼稚園に着くとダイチはまだ泣いていた。
聞くと私が行くときから泣いて 1時間くらいで泣き疲れて眠り
起きたらまた泣き・・と言う繰り返しだったよう。
そして怒って、泣いて、の繰り返し。
お弁当箱を開けたら、殆んど食べていなかった。
食べてあったのはウインナーとヨーグルトだった。
念のためヨーグルトは小2個持たせていた。
(ヨーグルトは大好きだからねっ)
私の姿を見たらまた激しく泣いたけど、
2分くらいでおさまったと思ったら、今度はやたらと饒舌になった。
涙目でニコニコしながら、
『ママいないなって、ダイちゃんえーんえんした。かなしかった!』
『公園で、コリナー トラックに乗っていた。ダイちゃんひざに乗っていた』
『見て! ワンちゃん、こうやってお座り、している!ほら!』
と、今までより遥かにはっきりと 文にして喋るようにもなっていた。
なぜ? 何かあったのかな、ドイツ語のみの空間で・・・。
帰りは、ダイチの今日の出来事を聞きながら笑って帰った。

きっとダイチは 慣れない空間で、精一杯不安と戦っていたんだろう。
小さい体で、必死に耐えていたと思う。
頑張ってきたダイチが 今日一日で 大きく変わったなーと感じた。

(明日も どうなるかわかなないよ~?)

2011-03-13

週末。家で過ごす

昨日も今日も、テレビやネットで地震の情報を見ていた。
被害はどんどん明らかになってきていて
そこで日常を送っていた方々の恐怖を思うと 胸が張り裂けそうだった。
日本にいる友達や知り合いからも状況を知らせてくれるメールがきている。

日の丸を作って、東の空に向けてベランダに張った。
本当に何もできない。祈ることしか。


天気は良かったけど、どこに行く気にもなれず、近所を散歩をして過ごした。
近所のパン屋さんに行くと、その店のおばあさんが
「地震が・・、津波が・・、家族は?大丈夫なの?」と心配顔で聞いた。
公園でも、初めて会ったお母さんに本当に辛いわ、と言われた。
皆、本当に心配そうだった。



ダイチは公園で楽しそうだった。ずっと家に居るより、はるかに楽しいんだろう。
遊んだあとベビーカーに乗せたら、すぐに寝た。



ダイチは、紐靴を買ったあとから紐に興味を持ち始め
最近は、親が紐を結ぶ様子を観察して 自分でやってみたりする。

(引っ張れるんだけどなぁ~)
(よいしょ、2本のヒモだな~)











ボタンに引き続き、ヒモ結び、ダイチの興味の幅が広がります。
(くるっと結ぶのってムズカシイんだなぁ~)
まだ、朝起きると 『パパどこ~!パパいない!(泣)』 になっているけど、
オットがいない生活を受け入れている様子。
私と、何とか仲良くやっていこうとする健気さが伝わってくる。
ちょっとおこると
『○○○(私の名前)、なんでおこる? ○○○おこって、ダイチかなしい。』
とすぐに泣いてしまう。
私も気を付けているんだけど、何とかならないだろうか、自分。

ダイチは、私の名前を呼ぶ。ママとも呼ぶが、時々使い分けて呼ぶ。
○○○急いで! とか ○○○来て!とか、どこで覚えたんだろうか
巧みに使い分けている。(きっとオットの台詞だろうけど・・)
もちろん、オットにも名前で呼ぶけど、オットは嫌だそうだ。
威厳がなくなるとか何とか・・、私は別にいいのだけど。

明日からまた1週間が始まる。
ダイチにとっても人生の新たなステージの始まりだと思う。
5時間、一人で耐えれるだろうか。
心配は尽きないけど、来週から私も頑張ろう!

2011-03-12

昨日のこと(3月11日)

昨日から、日本の大震災のことで頭がいっぱいで、何も手につきませんでした。
こちらドイツでも、毎日地震のことを放送しています。
今日は、福島にある原発のことに集中していましたが、他にも災害の映像が入ってきていました。
テレ朝・NHK・TBSなど 日本のテレビ局の放送をそのまま 後ろで映していたり、
日本が恋しい私には、日本語の字幕つきの映像は ありがたく 意味もよく分かるけど、
映像を見ていると、本当につらい。涙が出てきました。
新聞も、私がみかけた4紙全部が大きく取り上げていました。

本当に、無事を祈るばかりです。



(今日もちこく寸前だ~)急いで!ピースをしている場合ではナイ!

昨日は幼稚園、またコリナーが休みだった。
でも、地震のことで落胆喪心している私にとってはダイチが泣くよりは一緒にいたほうがいいと思ったので、コリナーが休みでも構わなかった。
幼稚園のトイレの手洗い所
今日は磁石でくっつくおもちゃに夢中になっていたけど、
他の子もそれで遊びたがっていたので、貸しあげなよと言うと
貸せていた(仕方なしに、という感じだったけど)。
でも、私の声がなかったら貸さなかっただろうな~。
貸すという概念はまだないのかもしれない。余裕も。
半分こをして食べ物をくれることはできるんだけど・・

ダイチはまだ自分のしたいことを優先するので(そういう時期?)、
皆で輪になって足踏みしたり手を叩いたりするのは、興味がある最初だけ。
あとは、輪を抜けて自分の好きな車のおもちゃに向かっていた。
そして、『ピーポーピーポー』 と声を出すので、一部の子どもからはブーイングが出た(焦)
なので、もう帰る時間もきていたし、みんなの統制を乱してはいけないと思ったので
帰ることにした。
(わーい、外にでられた~)

あまり遊ばなかったので昼寝もしたがらずグズグズだった。
ようやく昼寝した、と思ったら早く起きたので 散歩をした。
近所にゴミを捨てに行きつつ ぐるっと一周。
1時間もかかったけど、天気もいいし暖かかったので 荒んでいた気持ちも少し晴れた。
この頃ミュンヘンは天気がいい。
なに持ってるの?
(これこれ~。空き瓶をすてにいくのだよ~)











ダイチは赤い実がなっている枝から 実を取るのが好き。
必ずトゲがあるのだけど、そしてグイグイ手を入れるんだけど、痛くない模様。
(これをとるのが趣味デス)
(ぼく、こんなに取ってしまった!)











散歩中、庭でお茶したりブランコで遊んだり サイクリングしたり
買い物から帰ってきたおじさんが荷物を運んでいたり、
立ち止まってポスターを見てたり、はしゃいでる人がいたり。
当たり前だけどいろんな人がいた。それが日常なんだから、それでいいのだけど。
遠くで起こってる悲惨な現状なんて 全く、微塵も感じさせないのどかさで、
少し寂しくなった。
でもきっと、どこでもそうだろう。自分の身近なものが一番なんだから。



散歩のおかげでかどうか、夜は30分くらいで寝てくれた。
やっぱり外の空気に触れるというのは健全なことなのだと思った。

2011-03-11

日本、頑張って!!

朝、日本にいるオットからのメールで地震のことを知った。
テレビをつけると、日本の惨状が放送されていて、調べると三陸沖が震源という。
ひどい!ひどい!ひどい状況だった。
実家が近いので、父と母が心配になって
何度も何度も連絡したが、全然つながらず呆然とした。

そして午後、やっと連絡がついた!とオットから電話が来た。
父とは母は無事で、本当に安心した。
だけど、被災した方や遠くにいるその家族のことを思うと胸が締め付けられる。
入ってくる映像は本当にむごいものだった。
ドイツでずっと映し出されているのは、陸とも海とも川ともつかない 多分海岸近くの町や、人が乗っている船が津波にのみこまれる様子、油田がきのこ炎を上げて燃え盛る様子。
繰り返しているけど、NHKの中継を映しているものもある。4、5局くらいニュースを続けている。
映像をみていて、涙が出た。切なかった。
本当に頑張ってほしい!
日本人の根性は相当なものだけど、なんとか乗り越えてほしいです!頑張って日本!


まだまだ3月の寒い時期、夜は冷え込むと思う。

特に東北は、寒くて暖房が必須。
今、日本は夜22時、これからむかえる夜をどうやってしのぐのだろう。
父と母は、車で寝るという。何と家にヒビが入ったとのことで…。
断水もされているそう。
地震は、起こったときだけじゃなく むしろそのあとが大変だと思いますが、
本当に頑張って乗り越えてほしい!
遠くから何の役にも立たないけど、祈ってます。

2011-03-10

みんなと一緒にお昼ごはん

今日は起きたら暖かくて、思わずマフラーなしの軽装で出てしまった。
外に出たら、風が強いせいで意外に寒い…。
まだ3月、日差しの暖かさに惑わされてはいけなかった。

幼稚園は、今日も担任のコリナーがお休み。
どうやら明日金曜日まで、今週は休むらしい。
えー、今週までで私は何とかダイチを軌道に乗せたかったのにー。
コリナーが居ないんじゃ、私が部屋からいなくなるアレは できないという事。
今週で何とか慣れさせたかったのに…。
来週から、私は用事で午前中他に行かなければならない。
予行演習なしの本番で、大丈夫だろうか・・・。
(ちこくします~) 遅刻寸前。走って登園です。

今日ダイチは幼稚園に着くなり、『もう、いえ かえろー!』 と言った。
隣の担任がバァーッと来て、どうやらそれがものすごく怖かったらしい。
おはよーダイチー!と言っただけなんだけどなぁ。
それからその担任が気にして来る度に、顔を背けて本気で泣くダイチ。。。
慣れるしかない、彼女はこういう顔。しょうがない。

今日は初めてお弁当を持っていったので、皆と座って食べた。
食べると少し落ち着いたのか、 みんな静かに食べている中、
おしゃべりになっているダイチ。
なぜか皆、黙って食べていたけど、こんなときって黙って食べるのが
マナーなんだろうか?
そして、電気を消して部屋を暗くし、座ってる丸いテーブルの
真ん中にロウソク一つ、この暗さで食べるのか普通なのかな?
ダイチは最後に、『ハッピートゥーユーしたいな~』 と苦手な先生に言って、
ロウソクを消さしてもらっていた。やるなーダイチ。

ここの幼稚園だけだろうか、何だか保育園のような感じ…。
日本の保育園だってもっと規律はあるけど。
みんな思い思いのことをしてる。あんまり教育的なことはしない。
上のクラスだって、そう。
自主性を重んじるからだろうか。それにしても・・・
まだ、入ったばかりだし、もう少し様子をみてみよう!


(あーもしもし 今日もガンバッタヨ~)

家に帰って私がご飯を食べていたら、もっと食べると言って一緒に食べた。
食が細いので、まぁ 食べたいと言ってくれるのは嬉しい。
今は、チョコクリームをパンに塗って食べるのが一番好きみたい。
ドイツに来て、チョコを何となく解禁してしまったのだけど、
母のチョコ好きは息子にも遺伝?してしまったようだ。
オットはチョコ嫌いなんだけど…。


ここで寝るーと言い張るが、ここはただの椅子。
昼間なのに、寝るときはシャッター(雨戸?)を閉める!と言って
真っ暗にしてしまった。
(シャッター閉めたの、えらいでしょ~ぉ?)
でもなかなか寝付けず、ダイチは一人で電車や線路を片付けたり、ゴミを捨てていた。
そして、まさかの寝かしつけ寝で先に寝てしまった私に、
フトン、と言いながら布団をかけてくれたりも。頼もしい。
頼りになる子になってきた。

2011-03-09

幼稚園、これでいいのか?

まだ慣れない幼稚園を4日も休んで、行きたくないと言わないだろうかと思いながら起こされた。
ダイチはこの頃、『パパ、パパー!』と言いながら起きて、探す。
オットがいる頃からそうだったけど、今もそう。
「パパは仕事で日本に行ったんだよ」 と言うと、
『うぅん、あっちのへや、いるよぉ~(泣)』 と言いながらバーンとドアを開け、
落胆・・の背中がかわいそう。

(パパいると思ったんだけどなぁ~) しょぼーん


(えいっやけ食いだ~)
(りんごすきなのだ~)



幼稚園には問題なく行ったけど、担任のコリナーがお休みしていた。
それが問題で、コリナーの代わりの先生なんていないし、
隣の、一つ上のクラスの担任が両方みるような事を言っていたのだけど・・・

その担任、自分のクラスのこともあんまり構わないような、
例えば 黒板を掃除したり お茶したり トイレで洗い物をしていたり 
私がいた1時間半、子どもとあまり関わっていない状態だった。
ダイチのクラスの子すら、殆んど接してなかったのではないかな。ちっちゃいのに。
今週は私がいるけど、いなかったら それでなくても慣れてないダイチは
どうなってただろう…とちょっと恐ろしくなった。
ここはギリギリの人で切り盛り(?)している幼稚園なので、余剰人員はいない。
なので、先生が休んだら、一人で2クラス見なければならないんだろう。
園長先生ですら、クラスを持っているのだから・・・。


もう一人、見習いのような研修のような若い女性がいたけど、こちらはもっとひどくて
絵本をソファに踏ん反り返って棒読みで読み聞かせていたり
(子どもが2人隣にいたけど、あらぬほうを見てて聞いちゃいなかった)、
あくびばっかりでダルそうだし、子どもが居なくなってもそこから動かずボーっとしてるし、
これ、酷いんじゃない??と感じずにはいれなかった。
幼稚園に入れる以上、その幼稚園のことを信頼して預けなければならないと思うけど、
これを見て心配になった。
コリナーは面倒見が良く 一緒に遊んでくれるし ほんとにいい先生なんだけどなぁ…。
コリナーだったら安心なんだけどなぁ。
コリナーがお休みだったら、本気で考えようか。不安だ。
風邪ひかないでコリナー、と願うばかりです。


何度も、『もう いえにかえろー!』 と泣き言を言われ、
時間が来たので家に帰ってホッとしました。


話は変わりますが最近、ボタンの着脱に夢中です。

(ボタン? こーやってねぇ~)
(こうやって~)



(こうやるんだよ~) バーッと脱いでみせる

ある程度、ボタンが大きくないとできないようです。
でも、抱っこ座りをしているといつの間にかシャツのボタンを開けられていることもあるので、気をつけなくてはなりません。
私のボタンは小さいから油断しました。




あと、腕時計をするのも夢中。
日本のガチャガチャで手に入れた 子ども用のおもちゃの腕時計をはめます。

(この型は・・・フムフム)
(これかぁ~かんたんだよ~)


 

(くるっとまわして~)
(よいしょっ、できたよ~)



この腕時計、
ベルトの穴に掛けるひっかけがすぐに折れてしまうというしょぼいものでしたが、
止め帯みたいなもので固定できるので壊れた今でも使ってます。
こんな楽しいおもちゃ(の時計)、もっと買ってくるんだった~。

2011-03-08

今日はファッシング

今日(Faschingsdienstagという“火曜日のカーニバル?謝肉祭?”で)幼稚園が
お休みだったのでダイチと2人で街へ出掛けました。

ファッシングの様子を見に。
時間はお昼前後。今日が本番。さて、どうかな。

かわいい頭の夫婦。楽しそうで思わず声を掛けてしまった。

電車から降りて地上に出ると、思い思いの格好をしている人が ぞろぞろ歩いていました。
昨日よりははるかに多く、ステージでも音楽、道路でもパレードが行われ音が響いていました。
ダイチは怖がってしがみついていたけど、ご飯を食べたら元気に。

(ん~おいしい~これこれ~)
このレバーケーゼサンド、なんだかいつもより高かった。
ファッシング価格? こういう時はいつもより高くなるのかな??
お店のおねえさんも、こんなときに来て!と言わんばかりのつれなさでした。しょんぼり。
こんな時だからこそセール価格で!楽しそうに!と思うのは、日本人感覚なのでしょうか??
お休みの人が多いのか観光に来てる人も多いのか、本当にたくさんの人。
そして、愉快な格好で わいわい、楽しそうでした。

自ら、撮ってーと要望するおにいさんも。
普通の格好の人も多かったです。












私たちが帰る15時頃は逆に、これから出陣!という方が大勢電車から降りてきました。
これから盛り上がる所だったんでしょうか。
これからが本番? でも十分見れたので、私たちは帰路へ。

感想を言い合う相手がいなかったからか、何となく、ふぅ~ん・・という感想です。
ファッシング、オットがいたら、もっと楽しかったんでしょう。


ところ変わって、地元。
この前初めて見つけた公園で、眠りから覚めたダイチは楽しみます。

(い、いいの?ここで遊んでいいの?)

ここの滑り台の手すり、離れすぎています。
下のほうは特に離れていて、自分でやってみると、う~ん何だかやりにくい。
小さい子どもはもっと難しいのでは・・。ダイチもやっと手が届く状態。
ドイツの子どもは手足が長いというのはこういう所にも影響があるんでしょうか。

(でも気にしない、気にしない)
(階段は手摺じゃなくて足でのぼるのだよ、かあちゃん)
そんな私の気づきなんて気にも留めず、ひたすら滑り台を満喫するダイチ、
砂場で砂まみれになりながら、至福のときを過ごしました。
(今日一番たのしかったなぁ~ふーっ)
なんとか、オット不在を乗り切っている・・といってもまだ2日です。
夜は、『パパがいいー!パパ好きー!かなしい!』 とダイチに言われました。


2011-03-07

街へ散歩へ

今朝起きたらのどが痛くて、また風邪を引いたのかとガッカリした。
ダイチは先週末から風邪気味で、オットもそうだった。
一体ドイツに来て何度風邪をひいたか・・4回目だった。
4ヶ月で4回も。月一のハイペースだった。まだまだ、ドイツには体が知らないウィルスがきっといる。
あと何回かかかりそうな気配。

今日は幼稚園がお休みだった。(Rosen montagで)
早めにお昼ご飯を食べて、街へ出掛けた。

(今からね、でかけるよ~)ヒヨコがピヨちゃんに話しかけました

街はどうなっているのだろうと期待していったけど、
まずは地元の駅までで誰もおらず、駅でもしんみり地味~に日常が展開され
あれあれ、今日は何もないの?と肩すかしをくらった。

(だ、だれもいないではないか~)しょんぼり

先週ステージが設営されつつあったマリエンプラッツに着いた。
時間帯がずれていたのか本来の姿なのか、
街でもあまり賑やかではなく ステージで歌ってるグループはいたけど
歩く人々が皆仮装をしているわけではなかった(そもそも思い込み?)
でも、午前中のニュースではドイツの他地域のカーニバルが放送されていて
それを見たからか、すごく楽しみにしていったのに、そうでもなかった・・

ダイチは、自分が何を着てようと 誰がどんなことをしてようと、
興味のあるものは決まっていて、それまでベビーカーでどんよりしていたのに
いきなり 『おりるでしゅ!』 と元気になった。
(ぼくが見たかったのはこれだよ~)
  
中では解体工事をしていました。










遠くで見てるだけ~
ぐるぐる回る乗り物は、
前回乗せて痛い目にあったので、
もう少し大きくならないとまだ乗れません。







こんな天気のいい日に、散歩ができて良かったです(趣旨が変わってますが)


夜はおにぎりと鶏肉・きのこ中華炒めとお味噌汁。
オットが居ないと手抜きになりがちなので、注意しなければ。

ついつい、夜 テレビをつけてしまったらダイチがテレビの目の前で見始めたので、 注意した。
でもなかなか言う事を聞いてくれないのでおこったら、
『上の人(上の階の人に) うるさいよぉ~。しずか!してよぉ(泣) なんでおこる?』と
泣かせてしまった・・・  ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど・・・
自分の行動、もうちょっと落ち着いて考えたい、と思った。
はぁーー。  ごめんなさいダイチ。また反省です。


最後はへこみましたが、喧騒の中の散歩だったためかダイチの寝つきもよく、
21時半には寝てくれました。