2011-03-28

東北日本関東大震災 原発問題からこれからのエネルギー源へ

原発事故には衝撃を受けた.私はもともと原発は必要悪だと思っていた.これだけ電力を利用する日本社会は原発抜きには考えられないと,そのように考えていた.そして,核の平和利用は,安全対策を施せば問題ないと思っていた.そして,地震列島日本に原発を沿岸につくるのだから,地震の揺れはもとより,津波への対策も万全だと思っていた.おそらくほとんどの日本人がそのように考えていたと思う.

今回は,地震そのものは原発は耐えた.地震を検知してからきちんと制御棒が挿入され,原発は停止活動に入った.

その後が問題だ.東電曰く「想定外」の津波が非常用電源などを浸水させ使い物にならなくした.

私が問題視するのは,この「想定外」だ.

福島第一原発は高さ約5mちょいの場所に立地している.私は原発がそんなに低い場所にあるとは知らなかった.勉強不足であった.過去の津波の記録を紐解いてみれば,5mは低すぎであることは明白だ.

東北沿岸は,過去の三陸沖地震でもたびたび津波に襲われた.869年に起きた貞観地震のときの津波は,陸地に残った津波堆積物の記録などから,今回の津波に匹敵するものと考えられている(貞観地震の方が少し小さいかもしれないが).このことは,専門家がすでに東電にも警鐘を鳴らしていた.よって,東電および政府は,「想定外」という言葉を使うべきではない.専門家の警鐘を無視した結果が今回の惨事を招いたと考えるべきだ.たらればであるが,数年前の警鐘から,速やかに原子力発電所の停止や少なくとも非常用電源設備の防水加工,さらなる高地への移転など,最低限の行動を行っていれば,今回の原発事故は防げたのではないかと思う.

では,原発をこれからどうするか.私はいまでも原発を最終手段として持つことに賛成だ.しかし,節電努力と最大限の代替エネルギーの模索をしたのち,それでも電力がたりないとなった場合の最終選択肢として原発を考えるべきだ.

短期的に見れば原発は低コストで電気を生産できる.火力発電所のように大量の二酸化炭素を出すこともない.これで安全だったら言うこと無しだ.しかし,実際には長期的に地球環境や人間を含めた全生物に悪影響を及ぼしかねない放射能を利用するという最大の問題がある.
今回の事故を除いて考えても原発には大きな問題点がある.使い終わった核燃料を廃棄する場所がないことだ.今回事故のあった原発でも使用済み核燃料は,原発内に保管していた.
現在,政府や電力会社は,これら使用済み核燃料を,地下深くに埋めることを考えているし,実際に試験をしている.俗に「地層処分」と言われている方法だ.私はこれに大きく反対する.

日本は,ご承知のとおり,複数のプレートが衝突し合う,世界でもきわめて不安定な場に成立している.衝突のひずみを解消するのが断層運動であり,結果として地震が起きる.第四紀に動いた経歴を持つ断層を活断層と呼んで,世間が注目しているが,新しく断層ができることもあるのだ.つまり,日本中,どこでも断層ができる可能性を持っている.仮に,地層処分した場所に断層が生じたらどうなるか.間違いなくその核廃棄物は,地中に漏れ出す.それがゆくゆくは地下水や土壌に浸透し,地域を,そして世界を汚染していく.そういう可能性がある.
“核燃料サイクル”といういかにも核燃料をリサイクルできるような計画らしきものが存在するが,これは実はサイクルしていない.結局は廃棄物をどこかで管理するしかない.その廃棄物は年々増えていく.核のゴミをどうするのか.埋めるのは,上記の理由からもってのほか.しかもその廃棄物には核爆弾にも利用されるし,発がん性の高いプルトニウムも含まれている.これをどのように未来永劫安全に管理するか.原発を利用するならこの答えを出さなくてはならない.
現在の私の知識では,その答えは,「原発以外のエネルギー源を見つけ,核廃棄物を出さない」である.

とはいえ,これはあくまでも私の浅はかな知識をもとに,福島第一原発での事故に触発された,多少気持ちの高ぶっている気持ちの中での結論だ.
実際に,これまでの電気に依存しまくった生活を脱却できるか,原発に依るであろう比較的安価な電気代が数倍に跳ね上がっても,本当に我々は生活していけるのか.そのような不安はある.
今回の原発事故を機に,これから数年間,日本のエネルギー政策は大きな転換点を迎える.

どのようなエネルギーに依存するか,考える必要があるが,同時に,我々はどこまで節電し,我々の求める生活がどの程度の電力を必要としているのか見定める必要がある.

我々の求める(我慢できる)生活に必要な電力量と各エネルギー源の持つリスクやデメリットとどのようにバランスを取っていくか.それを真剣に考える必要がある.

関東・東北に在住している方は,現在の計画停電や各種節電対策によって,どれだけ我々が電気に依存した生活を送っているか,わかったはずだ.私は,現在ミュンヘンに在住しているが,震災当時はたまたま日本に帰国しており,帰宅&帰国難民になってしまった.その間に,節電,停電を短期間であるが味わった.駅のエレベーターやエスカレータが軒並み動いておらず,外国帰りの重たい荷物を幾日も手で運んだ.正直な気持ちは,エスカレーターはなくても良いが,エレベーターは欲しい.とても重たい荷物やベビーカーなどがあるときは階段ではちときつい.このように,どこまで我々が節電や停電を容認できるかを,皆で議論しよう.

そして,これは地方自治体や国レベルで取り組む話であるが,都市計画や各種法規制で,電力をはじめとしたエネルギーを極力使わない社会を実現できるはずだ.例えば一時期東京都知事が言っていた夜間のコンビニ照明の低減や,ここ数日大きな問題となったナイター野球の禁止などだ.会社と個人宅間の距離を縮めるだけでも,輸送に関わるエネルギーを低減できる.そのような低エネルギー社会を実現する政策は最優先で取り組むべきだ.
ちなみに,オール電化住宅は一つのエネルギーにのみ依存するという点で,個人の危機管理上問題であると思っている.電力需要増加にもつながっており,オール電化推進の政策など,伝呂需要増大を進める政策は,それこそ早急に「仕分け」すべきだろう.

エネルギー源に関しては,日本が試す価値のある地熱発電など,まだまだ日本に最適なエネルギー源は模索し尽くしていない.風力には私は否定的だが,太陽は,日本でもっとも消費電力の高まる夏場

もう一つ国にお願いしたい点は,様々なエネルギー政策の利点と欠点,コストをさらけだして,どのエネルギー政策でいくか,国民投票を実施して欲しい.

とにかく私の気持ちは,『不幸な震災を,少しでもポジティブに転化させよう』である.

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なんだか,まとまらないブログ記事になってしまったが,以上が,今回の東日本関東大震災を機に私の心にわき上がってきた気持ちだ.専門でない部分がほとんどのため,内容に誤りがあるかもしれないが,今の気持ちを書き留めておきたい,と思い,公開する.間違いなどを見つけたらお知らせ願いたい.

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